感謝とは何か
-感謝の典型、周辺、そして意義
(内藤俊史・鷲巣奈保子、2020.8.4 最終更新日 2024.5.4)
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感謝の典型
どの言葉でも、いざ定義をするとなると簡単ではありません。「感謝」も同じです。そこで、初めに、感謝の典型(中心的な例、プロトタイプ prototype) を考えたいと思います。それは、「感謝」という言葉を聞いて最初に思い浮かべるイメージといってもよいかもしれません。なお、類義語とされる「ありがたい」という語を使わない説明を試みてみました。
感謝の典型 (プロトタイプ)
「他者による善意にもとづく自発的な行為によって、自分に利益や幸福が生まれたときに経験する、その人に対する敬意にもとづく親愛の感情」
なお、この「感謝の典型」は、最近の心理学の動向に従って、感謝におけるポジティブな感情に焦点を当てています。つまり、 恩恵を受けたときに同時に経験しがちな「すまない」という感情や「負債感 (借りを作った感じ)」は注1、この「感謝の典型」には含まれていません (それらの感情があってこその感謝だという人も少なからずいると思いますが)。
とはいえ、ここであげた「感謝の典型」は、多くの人々にとって、感謝という概念の中心の近くに位置するのではないかと思います。
しかし、それは感謝の典型であるとしても、感謝はその周辺に無視することのできない重要な領域を携えています。
感謝の典型の周辺1-意志をもたないものへの感謝
前に示した感謝の典型には、「善意にもとづく自発的な行為によって」という条件が含まれています。しかし、この条件を充たさない感謝のグレーゾーンもあります。
例えば、食を支える作物を育てくれる自然に対して、多くの人々は感謝をします。しかし、日常の会話のなかで、自然が意志や感情をもつかのごとく語られることがあるものの、「公式の見解」として自然が意志をもつと考える人は少数派であると思います。
つまり、私たちの多くがもつ「自然への感謝」の場合、「善意にもとづく自発的な行為」という条件は当てはまりそうもありません。
そこで、前に述べた「感謝の典型」を典型として認めつつ、次にあげるような、さらに広い範囲の「感謝」に光を当てる必要があります。
「自分の幸福や利益が、生物、非生物を問わず他に起因するときに感じる、それ(ら)に対する敬意にもとづく親愛の感情」
なお、次の二点を補足します。
第一に、典型的な感謝の場合、自分の幸福や利益を認識し、さらにそれらをもたらしてくれた他者を認識したときに、感謝の気持ちが生まれることになっています。しかし、幸福の内容と感謝の対象とが明確に区別できない場合もあります。例えば、「豊かな時代に生まれてきたことに感謝しています」という言葉を何度か聞いたことがありますが、誰に(何に)感謝をしているのかはっきりしません。
このような言葉は、自分以外の何ものかによって幸福がもたらされたことを知り、感謝の気持ちをもちつつも、感謝の対象を特定できない場合における、いわば省略的な感謝の表現とみなすことができると思います。
感謝は、幸福をもたらした「自分以外の何ものか」への感情であるということは確かですが、このように感謝の対象が特定できない場合もあります。このサイトでは、それらを無視することなく。感謝についての探究を進めていきたいと思います。
第二に、感謝には恩恵を与えてくれたものの意志は前提にならないという考えに関して、次のような反論もあることを付け加えておきます―幸福をもたらすものとして自然に対して感謝をするとき、私たちは自然を擬人化してとらえ、自然の「善意」を想定しているのである。あくまで、意志のある自然に対して感謝をしているのであって、意志のないものへの感謝はあり得ない。したがって、「善意による自発的な行為」という条件は捨てる必要はない。
感謝の典型の周辺2-負債感とすまないという感情
「感謝」を感じる場面では、同時に別の感情を感じることがあります。その主たるものとして、心理的負債感やすまないという感情をあげることができるでしょう。一般的に言えば、「心理的負債感」は、お返しをしなければならないという義務感、そして「すまない」という感情は、期待される役割を果たさなかったときなどに生じる、他者への迷惑に対する自責の感情と言えるでしょう。
これらの感情を、初めから「感謝」や「感謝の心」に含めるべきだという立場も考えられますが、このサイトでは、それらは感謝と深い関係をもつ別の感情として扱います。しかし、これらの感情が感謝とともに生じることは多く、感謝について探究する上で、それらを含めることは不可欠です。
参考
実例という訳ではありませんが、「すみません」という言葉を頻繁に使い、感謝の場面でも「すみません」という言葉を使う人をとりあげたCMです。
東京ガス CM 家族の絆 「くちぐせ」篇 2017/01/10 アクセス)
注意 音声が出ます。
感謝の典型の周辺3 心と行為
これまで、「感謝」について、感謝の気持ちや感謝感情という心を想定して話を進めてきました。しかし、あらためて考えてみると、感謝は、心だけの現象ではなく、行為を含む現象ではないかと思います。実際、辞書には次のように書かれています。
「感謝」
ありがたく感じて謝意を表すること。「―のしるし」「心から―する」(『広辞苑』第6版 岩波書店、2008 年) 。
「ありがたく感じて」までは心の姿ですが、「謝意を表する」は行為です。
そこで、このサイトでは、「感謝」を「感謝の心」と「感謝の行動 (感謝を表す行為)」を含むものとします。もちろん、感謝の心と感謝の行動は、いつも一致する訳ではありません。感謝の気持ち(心)があっても、それを行動として表わすことができなかったという経験は、多くの人がもっていると思います。また、感謝の気持ちをもつことと、感謝を表わすこととは、それぞれ別の意義や機能をもつ可能性もあります。
このサイトでは、感謝の心と感謝の行動とを分ける必要があるときには、分けて記述します。
また、「感謝の行動」と似た概念として、「感謝の心によって生じた行動」という概念、言葉があります。それは、感謝を表わす行動だけではなく、感謝の心が原因となって生まれたさまざまな行動を意味します。
感謝の核にあるもの―向き合った上での敬意
感謝の典型をもとに、感謝の意味について考えてきました。ここでは、単に感謝の意味というよりも、感謝のもつ重要な性質、あるいは感謝の核心について考えます。
感謝を表すときによく用いられる「ありがとう」という言葉は、「有り難し」(=まれである、貴重である)に由来するといわれています。感謝には、ものごとを当たり前とする日常性を超えて、「普通ではない」「貴重である」「尊重すべきである」という感覚がその根底に含まれます。
このことを踏まえた上で、さらに、感謝の性質を考えてみましょう。
感謝には、自分の幸福が「他」つまり他の人、事物、事柄によってもたらされたという認識が含まれます。そして、先に述べたように、そのことが貴重であるという認識と、相手への敬意がともないます。比喩的な言い方をすれば、相手を一つの人格として認めて向き合い、敬意をもつことといってもよいでしょう。
このような感謝の性質は、次のような機会に垣間見ることができます。
・子どもたちに対する「ありがとう」という言葉は、「よくできました」という誉め言葉とは別の意味をもちます。誉め言葉は、「私のもつ基準に照らしてよくできました」という認定や承認の意味をもちます。それに対して、「ありがとう」という言葉は、子どもたちに、一人の人間としての敬意を伝えることになります。
・激しい敵対関係が続き、不幸にも相手に敬意のひとかけらも感じられなくなってしまったときを想像してみましょう。そのようなとき、その相手から何がしかの援助を受けたとしても、感謝の気持をもつためには時間がかかることでしょう。それは、感謝のなかに「敬意」が含まれているからです。むしろそのような人物から助けられたことに屈辱さえ感じるかもしれません。ただし、もし少しでも感謝の気持ちを感じたとき、関係は変わりつつあります。
・親しい友人にあらたまった形でお礼や感謝をしたときに、困惑され「みずくさい」という言葉が返ってくることがあります(最近ではこの言葉はあまり使われないのかも知れませんが)。 このような応えの理由は何でしょうか。一つの説明は、感謝が、一つの人格として、いったん自分から切り離された相手に対する感情だからだというものです。つまり、感謝には、相手と自分とをそれぞれ独立した人格として、切り離して認識することがともない、そのことが、相互の一体感に水を差すからだという説明です。蛇足ですが、このような点を考えると、育ててくれた人々からの巣立ちとしての結婚式や卒業式など、感謝は別れのときがよく似合います。
感謝の心の意義
感謝の心の意義や大切さはいろいろな分野で述べられています。学校教育における道徳教育では、感謝は道徳の内容項目として学習指導要領に含まれています(例えば小学校について、文部科学省、2017、 p.42)。また、書店では「自己啓発」の棚に感謝に関わる書籍を見つけることもあるでしょう。しかし、感謝の大切さは、多くの人々によって唱えられてはいるものの、それがどのような意味において大切なのかというと、必ずしも一致している訳ではなさそうです。
そこで、感謝の意義を、「感謝がもたらすもの」「感謝自体」「感謝をもたらすもの」という三つの観点から整理をしたいと思います(Naito & Washizu, 2021より)。
A. 感謝がもたらすものに注目⇒「感謝の心は、自分や他者に利益や幸福をもたらすので重要である」
感謝は、結果として自分自身や周囲の人々に幸福をもたらすことがあります。それは、感謝のもつ重要な意義の一つです。このサイトの「感謝の力」というページでは、「感謝は力をもつ」という立場に基づいて、感謝がもたらすものについて説明しています。
B. 感謝自体に注目⇒「感謝の心は、それ自体、道徳的な意義をもつ」
感謝は、幸福を導くから大切なのではなく、感謝そのものが意義をもつのだという考えです。人は、他の人々との関係の下に生きていますが、お互いに人格を認め合うことは、人間としての関係を成り立たせる道徳的な基礎といってよいでしょう。他者からの恩恵に対して感謝をすることは、他者の人格を認めることであり、人間的な相互的な行為における大切な基礎であるという考えです。
なお、相手の人格を認めるということは、その人の意見の正しさを認めることと同じではありません。
C. 感謝をもたらすものに注目⇒「感謝は、その人の心や過去の生き方を映し出す鏡として意義をもつ」
感謝は、感謝をする人の心のあり方の表れでもあります。家族に対して不満ばかり話していた青年が、家族に対する感謝の気持ちを表わすようになったとき、重要なことは、感謝をするようになったこと以上に、なぜその青年が感謝をするようになったかということでしょう。感謝のもととなった心の変化は、その青年の重要な心の変化であることがあります。感謝は、複雑な心の姿を映しだす鏡として重要な意義をもちます。
また、感謝は、人生における自分と他との関係を映し出す
鏡になることもあります。感謝しつつ人生の最期をむかえたいという言葉を、人間の生き方をテーマとする書物のなかに見出すことががあります。
例えば、次のような言葉があります。
「最期に、自分が受けたすべてのものに感謝して、「ありがとう」と言って死んでいける生き方、死に方がしたい」(日野原、2006、 p.16)。
この場合、感謝は、人生における自分と他との関係を映し出す鏡になります。それでは、人生の最後に感謝をもたらすような生き方とはどのような生き方なのでしょうか。それは、感謝の意義を探究するときの究極の問いと言えるでしょう。
文献
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日野原重明 (2006). 有限の命を生きる. 週刊四国遍路の旅編集部『人生へんろ-「いま」を生きる30の知恵』、講談社.
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文部科学省(2017).『小学校学習指導要領解説 特別の教科道徳編 』(平成29年)、 downloaded 2022.8.17.
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Naito, T., and Washizu, N. (2021). Gratitude in Education: Three perspectives on the educational significance of gratitude. Academia Letters, Article 4376. https://doi.org/10.20935/AL4376.
補足・参考資料 (ページ「資料室」)
次にあげるのは、それぞれ3,000字以上の私たちのレポート(PDF文書)です。感謝の定義に関する21世紀初めの心理学の状況と社会言語学の研究成果を紹介しています。
代表的な感謝の言葉である「ありがとう」と「すみません」の使用に関する研究結果をまとめています。
哲学や心理学における感謝の定義について説明しています。
セクション本文終わり
注1
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負債感: 他者にお返しをする義務がある状態で生じる、返報の義務の感情 (Greenberg, 1980)。 このサイトでは「心理的負債感」という語も用いますが、両者を区別をしていません。また、このサイトでは、「負債感」や「心理的負債感」等を、快く感じられないという意味で「ネガティブ感情」と呼んでいます。それは、好ましくないということを意味している訳ではありません。
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すまないという感情: 相手に迷惑を与えたことに対して感じる自責の感情。相手のもつ期待にそぐわなかったことに対する感情も含まれます。このサイトでは、感謝とともに感じやすい「ネガティブ感情」の一つとして取り上げられています。
文献
・Greenberg, M. S. (1980). A theory of indebtedness. In K. J. Gergen, M. S. Greenberg, & R. H. Willis (Eds.), Social exchange: Advances in theory and research. (pp.3-26). New York: Plenum Press.
・Washizu, N., & Naito, T. (2015). The emotions sumanai, gratitude, and indebtedness, and their relations to interpersonal orientation and psychological well-being among Japanese university students. International Perspectives in Psychology: Research, Practice, Consultation. 4(3), 209-222.