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感謝と親しさのパラドックス
― 感謝は、感謝の必要のない社会を築くのか?
(内藤俊史 2020.8.4, 最終更新日 2024.8.23)
感謝は、お互いに助け合い、感謝をし合う社会を導くと考えるのが、自然ではないでしょうか。ところが、この考えに、疑問を投げかける事柄があります。
1. 問題
感謝の気持ちをもち、感謝を表すことによって、相手との関係はより近いものになるといわれます。しかし、お互いの親しさが増してくると、感謝をするのはみずくさい言われるようになります。一見、矛盾しているようにさえ感じます。この現象は、どのように説明することができるのでしょうか。このページでは、この現象を、感謝のもつ性質にもとづいて解釈を試みます。
初めに、感謝表現について考えます。
2. 感謝の3つの性質
まず、感謝に関わる次の特徴を確認することから始めます。
a. 感謝は、その対象である人との関係をより親しいものにする。
b.親しい関係の下では、援助行為は、当然とされる(強い信頼関係、規範意識などにより「当たり前」とされる)。
c.行為が当然とされる場合、その行為は、感謝表現の対象にはならない(規則によって規定されているなど、行為が「当たり前」とされる場合)。
3. 感謝の性質から導かれる事態
a、b、cを仮定すると、次のような事態が導かれます。
感謝をすることによって関係はより親しいものになります。そして、その援助行為は、当然のこととされるようになります。
親密な関係のもとで援助が習慣化―常態化すると、その度感謝を表現することは、心身ともに負担が大きくなると考えられます。その結果、援助に対する感謝表現は減少し、さらに援助されることもすることも意識化されることが少なくなっていきます。
事実、世界的な規模で行われた感謝の言葉についての観察調査によると、多くの文化において、比較的親しい間柄では、食卓で塩をとってもらうなどの手助けに対して、感謝の言葉は一般に思われているよりも少ないという結果でした(Jennifer Schuessler、藤原朝子訳、2018)。
そのような状況で感謝が表明されたときは、「みずくさい」「わざとらしい」「よそよそしい」「形式的」などと、軽い非難を受けることになります。
ここまでの話では、感謝を表現することは、頭痛薬と同じようなものといえるかもしれません。頭痛の時に飲んで、頭痛が治ったら役割は終わり、飲まなくてもよいという訳です。
しかし、頭痛薬と違うのは、私たち日本の社会では、親しい関係の下においても、あらためてその関係を確認したり、さらに強固にしたいという場合があることです。そこで、関係を維持したり、強化をしたりするために、あらためて感謝の感情を思い起こし、確認する機会が必要になります。社会的なレベルでは、社会制度として感謝を確認する機会が設けられています。多くの国々で設けられている「感謝の日」がその例です(なお、感謝を確認するよりは、信仰や忠誠の確認が強調される社会や文化もあるでしょう)。
4. 感謝の気持ちの場合は?
これまで、主に感謝表現について考えてきました。それでは、感謝の気持ちについてはどうでしょうか。親しい関係になった場合、感謝の気持ちは薄れていくのでしょうか、感謝をすることはなくなるのでしょうか。
恐らく、親しくなることによって、互いに助け合う機会も増えると考えられますから、感謝表現の場合と同じように、恩恵を受ける度に感謝を意識することは、少なくなると考えられます。
しかし、心の基本的な部分では、親しい相手に対する感謝は、親しくなった後も変わらずに残っていると考えられます。その上で、新たに受けた恩恵に対しては、感謝の気持ちを引き起こすことも考えられます。要するに、「当たり前」という枠をいったん外して、親しい関係における感謝を顕在化することです。
一方、あまり習慣化されるようなことのない援助の場合は、感謝の気持ちが、親しくなった後に弱くなるようなことはないと思います。
私たちは、慣習化するとは考えられない援助、「骨折した自分のために荷物を毎日学校まで運んでくれた」等の架空の場面を設定し、そのときに感じる感情を、日本の大学生を対象として調査をしました。その結果、見知らぬ人から援助を受けた場合に比べ、友人、母親、父親から援助を受けた場合、「うれしい」「あたたかい」「幸福」「感謝」というPositive feelingの合計点は、より大きな値になりました(Naito, et al., 2005の調査を再分析, Fig.1 )。これは、親しくなると感謝の心が減少するという考えにとっては不利な証拠です。
一方、「恥ずかしい」「迷惑をかけた」「心苦しい」「借りが出来た」というNegative feelingの合計点は、父母から援助を受けた場合に、より低い値になりました。
親しい人から、気兼ねしないで援助を受け、positiveな感情としての感謝の気持ちをもつという、よくありそうな状況を裏付けています。別の言い方をすると、感謝の質が、親しい人とそうではない人では異なるとも言えます。つまり、親しい関係における感謝は、ポジティブ感情が多く含まれ、ネガティブ感情はあまり伴わなくなるというものです。
5. 結論
確実な結論を下すためには、さらに研究が必要ですが、現時点では次のような説明が考えられます。
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感謝は、関係をより近く親しいものにします。親しい関係の間での援助は「当たり前」とされるようになり、意識化されることが少なくなり、感謝表現は減少します。
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親しい関係の下では、感謝の感情が消えてしまうのかというと、そうではありません。感謝におけるpositive feelingは、親しい関係の人物から援助を受けたときに、高いという研究結果があります。
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相手との関係によって、感謝の性質が変わることが考えられます。親しい関係の下では、援助に対する感謝にポジティブ感情を多く含み、そうでない場合は、ネガティブ感情が伴いやすい傾向があります。
[付記] さらに探究すべき次のような問題が残されています。
1. 私たちが、援助を習慣化し、感謝をしなくなる心理的-社会的メカニズム。
2. 親しくなっても感謝の心を維持することを要求する社会のメカニズム。
文献
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Jennifer Schuessler、藤原朝子訳 (2018)「人は思っているほど「ありがとう」と言わない―やってもらうのは結構当たり前. 東洋経済オンライン 2018/07/06 https://toyokeizai.net/articles/-/228180 2024.8.24アクセス
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Naito,T., Wangwan,J.,and Tani, M.(2005). Gratitude in university students in Japan and Thailand. Journal of Cross-Cultural Psychology, 36,247 -263.
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